木村多江の学歴を調査-気になる高校や大学はどこ?-
さて今回は、木村多江さんについて紹介いたします。
1971年3月16日生まれ、女優。
ドラマ『リング~最終章~』と『らせん』での山村貞子役で注目を浴び、以降の作品の役柄などから「薄幸女性がよく似合う」「日本一不幸役が板につく女優」などと称されました。
そんな女優木村多江さんの学生時代とそれ以降の経歴などについて、紹介いたします。
この記事で分かること
・木村多江の専門学校
・木村多江の小中高
・木村多江の経歴
木村多江の学歴を調査!大学はどこ?
学校名 | 昭和音楽芸術学院 専門学校 |
学科・コース | ミュージカル科 |
偏差値 | なし |
入試難度 | 普通 |
所在地 | 神奈川県川崎市麻生区上麻生1丁目11-1 |
最寄り駅 | 新百合ヶ丘駅 |
公式HP | https://www.tosei-showa-music.ac.jp/ |
木村多江さんは、大学ではなく、専門学校へと進学しました。
昭和音楽大学系列の専門学校で、ミュージカル俳優やバレリーナ、声楽家などを育成する学校でした。
木村多江さんが通っていた高校は進学校だったため、大学ではなく専門学校に進むということで、親には猛反対され、なんとか説得したそうです。
この専門学校に入学したのが19歳。
この頃から舞台女優としての活動を始め、ダンスの練習も始めました。
しかし、21歳の時に父親を亡くし、それからは自身のアルバイトで何とか食いつなぎ、舞台女優としての活動を続けていたそうです。
20代後半の睡眠時間が1~3時間程度しか取れなかったというのですから、その過酷さがわかりますね。
木村多江の学歴は高卒?高校はどこ?
高校は、私立の白百合学園高校に通っていました。
推定偏差値69の難関校です。が、完全中高一貫校で、中学校入学時の入試以降、外部からの入学は基本ありえない学校ですので、あくまで、推定です。
しかし、進学実績などから考えても、賢い学校であることは間違いないです。
東京都千代田区九段北にある、1881年開校の伝統ある女子校です。
部活動は演劇部。樹木希林のドラマ「台所の聖女」の演技に感動し、女優を志したそうです。
この高校の卒業生には、タレントの高田万由子や女優の松たか子、AAAの宇野実彩子やタレントの高橋千佳子などがいます。
木村多江の中学は?
学校名 | 白百合学園中学校 |
所在地 | 東京都千代田区九段北2丁目4-1 |
先述の通り、木村多江さんは中高一貫校に通っていました。
中学校入試の偏差値が69。かなり高い、難関校です。
中学校時代から演劇部に所属し、舞台に立ちたいという漠然とした思いから、演劇部を選んだそうです。
木村多江の小学校は?
学校名 | 白百合学園小学校 |
所在地 | 同上 |
お察しの通り、木村多江さんは、小学校から高校まで白百合学園をエスカレータ式で進学しています。いわゆるお受験組ですね。
小学校から高校まですべて私立に通わせることができていたところから、実家がかなり裕福な環境であったことは間違いないでしょう。
またこのころからクラシックバレエは習っていました。
表現力を育む環境は幼少の頃より十分にあったようです。
木村多江の経歴や本名や身長も調査
本名 | 木村 多江(きむら たえ) |
身長 | 162 cm |
<経歴>
昭和音楽芸術学院ミュージカル科在学中から舞台『美少女戦士セーラームーン』に出演し、舞台女優として活動していましたが、21歳の時に父を亡くし、それ以降はアルバイトの掛け持ちと舞台女優業を過密スケジュールで両立していきました。
2005年に一般男性と結婚し、2007年には妊娠を発表しました。すでに出演が決まっていたドラマを降板したり、無期延期となったり、残念がる声も多少はありましたが、2008年に無事に第1子を出産し、その後初の公の場で、無期延期にしてしまったことをしっかり謝罪し、仕事復帰しました。
初主演映画『ぐるりのこと。』は日本アカデミー賞最優秀主演女優賞とブルーリボン主演女優賞を受賞するなど、高く評価されています。
まとめ
いかがでしょうか。
木村多江さんは、高い演技力があるにも関わらず、幸の薄い役や殺される役などが多いです。
しかし、それこそが彼女の魅力なのです。
そしてその原点がご紹介させていただいた学生時代。
子どもの頃は裕福だった分、父を亡くしてからの下積み時代は相当苦労したようです。
しかし、その積み上げた苦悩や辛い経験が現在の彼女の演技の幅を広げ、深みを出していると感じさせられますね。
まだまだ活躍を続けている彼女の今後にますます期待できそうです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。