宇多田ヒカルの学歴を調査-気になる高校や大学はどこ?-
さて、今回は人気アーティスト「宇多田ヒカル」についてご紹介いたします。
1983年1月19日生まれで、身長158cmの宇多田ヒカル。
そんな彼女は1998年末に15歳でCDデビューを果たしました。
デビューシングル「Automatic/time will tell」はダブルミリオンの大ヒットを記録し、一躍有名になりました。
彼女は、その後も数々の名曲を世に発信し、絶大な人気で活躍しましたが、学力についてもかなり優秀な方だったようです。
どのような場所で学生時代を送っていたのか、順にご紹介していきます。
この記事で分かること
・宇多田ヒカルの高校・大学
・宇多田ヒカルの音楽活動の始まり
・宇多田ヒカルの経歴
宇多田ヒカルの学歴を調査!大学はどこ?
学校名 | コロンビア大学 |
学科・コース | バーナードカレッジ |
偏差値 | 測定不能 ※2016年世界大学ランキング16位 |
入試難度 | 同ランキングで東大が43位 |
所在地 | アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 |
公式HP | https://www.columbia.edu/ |
なんと、宇多田ヒカルはあの「アイビーリーグ」の一校、コロンビア大学に通っていました。
もともとニューヨーク出身の彼女ですが、本当に優秀だったみたいですね。
アメリカン・スクールには飛び級があるので、17歳で高校を卒業し、コロンビア大学に進学していました。
しかし、先述の通り、彼女は15歳でデビューし、すでにミリオンスター。
日本の多くのファンがキャンパスに宇多田ヒカルを見に来ることがあり、かなり困っていたそうです。
そんななか大学2年生の年には2ndアルバム「Distance」がミリオンセラーを記録し、音楽活動が多忙になっていることを受け、休学。
それから悩んだ末、音楽活動を優先することを決意し、大学を中退しています。
その後もミリオンを連発し、活躍し続けている彼女の決断はファンとしてはありがたいものです。
本人も後悔がないとはいえないまでも、自身の決意が間違っていなかったと言わんばかりの活躍をしていますね。
かっこいい女性です。
宇多田ヒカルの学歴は高卒?高校はどこ?
宇多田ヒカルは、大学を中退していますので、最終学歴は「高卒」です。
彼女は、インターナショナルスクールのアメリカン・スクール・イン・ジャパンに通っていました。
明治35年に開校した日本初のインターナショナルスクールで、日本最大規模になっている学校です。
日本の偏差値に置き換えると58程度だそうです。
しかし、日本在住のアメリカ人の優先順位が高く、日本人の場合は本人だけでなく家族の英語力も見られるそうです。
日本人にとってはかなり難度が高く、学費もかなり高額になりといわれています。
宇多田ヒカルは学力だけでなく、家庭環境にも大きく恵まれていました。
さすがですね。
入学後はかなり努力し、15歳でのデビューから音楽活動が忙しくなる中、ほとんどの科目で最高評価を獲得し、飛び級により17歳で卒業しています。
努力はしていたのは間違いありませんが、やはり「天才」ですね。
まさに才色兼備の女性です。
ちなみに、アメリカン・スクールの主な卒業生には、
早見優、青山テルマ、May J.
などのビッグネームが並んでいます。
宇多田ヒカルの中学は?
学校名 | 清泉インターナショナルスクール |
所在地 | 東京都世田谷区用賀1-12-15 |
清泉インターナショナルスクールはカトリック系の女子校です。
戦後の1946年にアメリカ人子弟のための教育施設として始まった伝統ある名門です。
卒業生のほとんどは海外の大学へ進学します。
そんな学校へ在学中に宇多田ヒカルは、部活動などは所属せず、小学校時代から母親や父親と家族ユニット「U3」で音楽活動を行っていました。
中1の時には母親に代わってメインボーカルを務めることもあり、その頃から音楽活動が本格化していったそうです。
しかし、清泉インターナショナルスクールでは、芸能活動を認めていなかったため、高校選択では芸能活動を認めているアメリカン・スクール・イン・ジャパンに決めたようです。
宇多田ヒカルの小学校は?
学校名 | 清泉インターナショナルスクール |
所在地 | 先述の通り |
宇多田ヒカルは小中を清泉インターナショナルスクールで過ごしました。
両親と組んだユニット「U3」がスタートしたのもこの時期。
まさに宇多田ヒカルの音楽の原点と言えますね。
ちなみに5歳児の宇多田ヒカルの将来の夢は「かしゅ」だったそうです。
参考記事:https://news.line.me/issue/oa-techinsight/743d1a4d8b3a
幼少の頃の夢をしっかり叶えちゃってます。
宇多田ヒカルの経歴や本名や身長も調査
本名 | 宇多田 光 (うただ ひかる) |
身長 | 158 cm |
父は宇多田照實、音楽プロデューサー。母は藤圭子、歌手。
まさに音楽一家に生まれた宇多田ヒカルは幼少の頃からアメリカと日本を行ききし、スタジオを出入りしていました。
小学校の頃から音楽活動をはじめ、高校1年生でメジャーデビュー。
1stシングル「Automatic/time will tell」はミリオンセラー。
2ndシングル「Movin’ on without you」は発売翌月のオリコンチャートで1位を獲得。
1999年1stアルバム「First Love」は初週売り上げ枚数が200万枚を突破し、その後も売れ行きは伸び続け、日本国内の歴代アルバムチャート1位となっています。
このころから音楽活動に専念しはじめ、控えていたメディア露出も、ミュージックステーションの出演をきっかけに、多数のテレビ番組に出演し、多くの番組で番組最高視聴率を記録していきました。
とどまることを知らないほどの、大変な人気でした。
その後も数々の楽曲を世に輩出し、ライブ活動も世界に広げていきました。
一方、私生活では2002年にはMVやディスクジャケットなどをともに製作してきた紀里谷和明と結婚し、2007年に離婚。2013年には母藤圭子を亡くし、翌2014年にイタリア人男性と再婚。2015年には第1子となる男児を出産したが、2018年には離婚しています。
音楽活動はほぼ常に充実していましたが、一旦は「人間活動に専念する」と発表することのあるくらいプライベートはなかなかギクシャクしていることもあったようです。
それでもやはり、彼女の原点は音楽なのでしょう。
音楽活動はほぼ途切れることなく続け、「ぼくはくま」Tシャツの収益を世界の子どもにワクチンを日本委員会に寄付したり、震災の被災者への義援金を送ったり、献血に行ったりと社会貢献の活動も行ってきました。
音楽は人の力になるということを自身の人生を持って体感し、それを発信しているようにも感じられますね。
本当に素晴らしい、素敵な、格好いい女性です。
まとめ
いかがだったでしょうか。
宇多田ヒカルの学歴を見ていくと、その音楽人生だけでなく、どのように育ち、音楽とどう向き合ってきたのかが見えてきたような気がしますね。
現在もまだまだ活躍を続けている宇多田ヒカル。
あらゆる分野で彼女の携わった楽曲に触れることがあるかもしれませんね。
自身が発表するだけでなく、作詞作曲やプロデュースの面でも大きく力を発揮されています。
1ファンとしてまだまだ応援していきたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。