有村架純の学歴を調査-気になる高校や大学はどこ?-
さて、今回は女優・有村架純さんについてご紹介いたします。
有村架純さんは1993年2月13日生まれ。
兵庫県伊丹市出身で、高校時代に現事務所FLaMmeのオーディションを受け、合格しました。
その後親元を離れて上京し、『ハガネの女』でドラマ初出演を果たし、FLaMme mobileで携帯ブログをはじめました。
2011年には東京ディズニーシー「春のキャンパスデーパスポート」でCM初出演を果たし、同年11月に『ギャルバサラ-戦国時代は圏外です-』で映画初主演を果たしています。
その後も、出身地伊丹市の「伊丹市大使」を務めたり、大人気連続テレビ小説『あまちゃん』に出演したりするなどして、知名度と人気はどんどん上昇していきました。
2016年、2017年にはNHK紅白歌合戦の紅組司会者に起用されるなど国民的人気女優となった有村架純さん。
そんな彼女のルーツはどこにあるのか。どのような学歴で、学生時代はどう過ごしていたのか。
有村架純さんの幼少期からデビューからの活躍まで、詳細にご紹介いたします。
この記事を読んでわかること
・有村架純さんの学生時代
・有村架純さんの芯の強さのルーツ
・有村架純さんのこれまでの経歴
有村架純の学歴を調査!大学はどこ?
有村架純さんは大学には進学していません。
高校卒業時、進路に悩む中で、女優業に専念する道を選びました。
当時は女優デビューは果たしていたものの、ブレイクする前で、女優業1本で行くことへの不安が大きかったそうですが、雑誌のインタビューで「覚悟が足りないんじゃない?」と言われ、ハッとしたそうです。
それをきっかけに女優業専念を決意し、20歳で『あまちゃん』、22歳で『ビリギャル』で大ブレイクを果たし、人気女優への道をかけだしました。
有村架純の学歴は高卒?高校はどこ?
有村架純さんは、公式には出身高校を公表していません。
しかし、Twitterやネットでは特定されていて、兵庫県立伊丹西高校に入学していたそうです。
高校名 | 兵庫県立伊丹西高等学校 |
所在地 | 〒664-0025 兵庫県伊丹市奥畑3丁目5 Googleマップ |
偏差値 | 47 |
公立高校に入学した有村架純さんは、家庭の経済状況を考えてアルバイトを頑張っていたそうです。
実家は母子家庭で、それゆえに公立高校を選んだのかもしれませんね。
アルバイトは、そば屋のアルバイトをしていたそうで、熱があっても休むことはなく、真面目によく働く子だったそうです。
高校生のうちに1万円を稼ぐことの大変さを身をもって感じたと思います。
しかし、インタビューなどでは、それらを苦労としては語らず、友達とカラオケやボーリング、スキーやキャンプなど、青春を楽しむためにアルバイトを頑張ったと話しています。
そういったところでも人柄の良さが感じられ、また根性のある方だとも見受けられますね。
お仕事については、彼女は、高校1年生の時に現所属事務所FLaMmeのオーデションを受け、不合格になっています。
しかし、その際「関西弁を標準語で話せるようになること」「2キロ痩せること」を課題として翌年の再受験を約束されました。
その後彼女は1年間、それらの課題に取り組み、高校2年生で再受験し、合格を勝ち取っています。
事務所もその2点以外は合格点をあげていたのでしょう。
そして、有村架純さんは、高校2年生が終わるタイミングで伊丹西高校を中退して上京し、旧 日出高校、現 目黒日本大学高校の通信制課程に編入しました。
有村架純さんは、周囲の友達に芸能事務所のオーディションを受けていることは伝えていなかったそうで、上京することを報告すると、寂しさで泣いてくれたそうです。
良い友達がたくさんいたのでしょうね。
友達から突然上京すると聞かされた友達が少しかわいそうにも感じてしまいます。
一方、編入先の旧 日出高校、現 目黒日本大学高校の通信制は芸能人が在籍することの珍しくない学校です。
有村架純の同級生には、
菅田将暉、滝沢カレン、剛力彩芽、足立梨花、逢田梨香子、村上友梨、仲野太賀、染谷将太
などのビッグネームが並んでいました。
上京後は、所属事務所の寮で生活をしていました。その頃の日記を後に見返した本人は、
「すごくしんどいことばかり書いていて」
と明かしています。
親元を離れて新たな土地で初めての仕事をしていく生活は、楽しいばかりなはずがないですよね。
それでも彼女は持ち前の根性と、何のために東京に来たのかを自問し、頑張り続け、上京してすぐの高校3年生で『ハガネの女』で女優デビューを果たしました。
それでも高校との両立はしっかりと行い、高校は卒業しています。
有村架純の中学は?
有村架純さんの出身中学校は、地元伊丹市の伊丹市立西中学校です。
中学校名 | 伊丹市立西中学校 |
所在地 | 〒664-0886 兵庫県伊丹市昆陽東4丁目2−5 Googleマップ |
最寄り駅 | 阪急 伊丹駅
JR 伊丹駅 |
有村架純さんは中学校では、ソフトテニス部に所属していました。
当時のソフトテニス部の指導は非常に厳しいものだったらしく、連帯責任をとる指導が多かったため、激しく苦しい、しんどいメニューをたくさんこなしていたそうです。
そのため、忍耐力、根性が鍛えられたのではないでしょうか。
また中学校では仲の良い友達が多かったようです。
高校でアルバイトを頑張れたのも、中学校からの友達たちとキャンプやスキーに行くことを楽しみに頑張ることができたと語っていました。
中学時代の友達とは、ダンスグループを結成したこともあったそうです。
お金のかかるスクールなどに通う飲んではなく、市役所のフリースペースを利用するなどして、練習をしていたそうです。
当時は、好きなことを友達と楽しむことが彼女にとっての最高の息抜き、幸せだったのかもしれませんね。
有村家は、有村架純さんが小学生の頃から両親が別居状態で、彼女が中学1年生の時に正式に離婚しています。
そのため、家庭が経済的に苦しい部分が多く、中学時代から自立することを考えるばかりだったそうです。
しかし、公立の中学校でアルバイトを認めてもらえるはずもなく、アルバイトをするのは高校に上がってからになりました。
さらに、そのような状況の中で有村架純さんが女優を目指すようになったのも中学時代だったそうです。
というのも、芸能事務所のオーディションを受け始めたのが中学3年生の時でした。
その頃からいくつかの芸能事務所のオーディションを受けたそうですが、中学校時代にはどこからも合格はもらえなかったそうです。
それでも翌年、再度チャレンジして課題付き不合格をもらい、更に次の年に再受験しているのですから、彼女の本気度が伺えますね。
そこもまた、中学校で鍛えられた根性が発揮されているようにも感じます。
有村架純の小学校は?
有村架純さんの出身小学校は、伊丹市立稲野小学校です。
小学校名 | 伊丹市立稲野小学校 |
所在地 | 〒664-0881 兵庫県伊丹市昆陽1丁目175 Googleマップ |
有村架純さんは両親との2学年上の姉との4人家族でした。
姉は女優の有村藍里さんです。
姉妹2人は、性格が真逆だったそうで、活発んい動き回っていた有村架純さんに対し、お姉さんはおとなしくおしとやかな性格でした。
生まれてから小学校4年生までは奈良県に家族4人で住んでいましたが、両親が別居し、姉とともに母親に引き取られ、兵庫県伊丹市に引っ越しました。
その後、両親は有村架純さんが中学1年生の時に正式に離婚しています。
両親が別居する前は、家に帰っても両親が喧嘩ばかりしていて、その反動もあって姉とはとても仲が良かったそうです。
しかし、お姉さんは高校進学を機に大阪へ転居し、中学生の有村架純さんは寂しい思いをしていたそうです。
小学生の頃は、有村架純さんは習字を習っていたそうです。
また、小学校中学年までは元気で活発な子だった彼女も、高学年になると、悩むことが多くなり、周囲の反応を過剰に気にしてしまう時期があったそうです。
彼女の初恋は小学校4年生の頃。
転校した先の小学校で初恋をし、小学校時代はずっとその男の子に好意を寄せていたそうです。
小学校時代の将来の夢は「トリマー」。
小学校の頃にはまだ女優を目指すビジョンは全くなかったようです。
今や大人気女優ですが、最初化からそういう人生を歩んできたわけではなく、ごく普通の女の子に変わりないということですね。
有村架純の経歴や本名や身長も調査
さてここまでは、有村架純さんの学生時代とデビュー当時をご紹介いたしました。
ここでは、本名や身長、高校卒業後の経歴について詳しくご紹介いたします。
本名 | 有村 架澄 (ありむら かすみ) |
身長 | 160cm |
血液型 | B型 |
趣味・特技 | 料理、茶道、運動 |
https://twitter.com/kasumistaff?lang=ja | |
https://www.instagram.com/kasumi_arimura.official/?hl=ja | |
公式HP | https://www.flamme.co.jp/actress/profile.php?talentid=11 |
有村架純さんは、20歳になった2013年4月に、地元伊丹市の「伊丹市大使」に任命され、同年7月にアメーバブログをスタートしました。
さらに、その年に『あまちゃん』で小泉今日子演じる主人公の幼少時代を演じ、人気に火が付き、大ブレイクを果たしました。
「2013タレントCM起用社数ランキング」では、前年まで圏外だったところからいきなりのトップ10入りを記録。
業界人1000人を対象としたアンケートで選ばれた「2014年にブレイクするタレント」で女性部門1位となり、さらに注目を集めました。
成人して、まさに区切りの年となったのです。
そして、翌2014年には、7月公開のスタジオジブリ作品『思い出のマーニー』でオーディションを経てダブルヒロインの1人・マーニー役に抜擢され声優として出演しました。
さらに同年10月には舞台劇『ジャンヌ・ダルク』で舞台初出演を果たし、ますます活躍の場を広げていきました。
さらに知名度が爆発的に上がったのは、翌2015年の主演映画『ビリギャル』です。
それまで有村架純さんとギャルは正反対のイメージでしたが、なんだか素朴なかわいらしい金髪ギャルとなり、その可愛さもあって人気に拍車がかかり話題となりました。
この作品をきっかけに彼女を認知した人も多いと思います。
2015年5月に『ビリギャル』が公開され、同年6月にはドラマ『永遠のぼくら sea side blue』で地上波ドラマ初主演、WOWOWでは『海に降る』で連続ドラマ初主演を務めました。
2016年には、主演映画『ビリギャル』が第39回日本アカデミー賞優秀主演女優賞および新人俳優賞、『ストロボ・エッジ』『ビリギャル』での演技により第58回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、人気だけではなく、その実力も評価されました。
その後も、フジテレビ連続月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』主演、第67回、68回NHK紅白歌合戦紅組司会者、連続テレビ小説『ひよっこ』主演など、国民的人気女優の地位を確固たるものにしてきました。
他にも、2018年の『中学聖日記』や2020年の『姉ちゃんの恋人』、2021年の『コントが始まる』など、連続ドラマに次々と出演し、演じる役柄もどんどん幅が大きくなっています。
それでいて、バラエティ番組などの様子を見ると、少し天然の入ったような楽しい感じの中に素敵な人柄が感じられ、好きになること間違いなしです。
また、CMの起用も多く、
オリエンタルランド 東京ディズニーシー、東京ガス、大塚製薬カロリーメイト、ACジャパン、伊藤園、ABCマート、ワーナーミュージック・ジャパン、亀田製菓柿の種、Cygames、東芝、メニコン、日本中央競馬会、KDDI au三太郎シリーズ、WOWOW、P&G パンテーン、JA共済
など、実にたくさんの大手企業CMに出演しています。
テレビを観ていて、有村架純さんを見かけない日はない、と言ってもおそらく過言ではないでしょう。
それくらい、私たちの生活の中に溶け込み、人気を博し、知名度とともに信用を得ている女優であるということです。
いつまでも汚れを知らない真っ白なイメージの女優であり続けてほしいですね。
まとめ
いかがでしょうか。
有村架純さんの幼少期から現在に至るまでの経歴がお分かりいただけたかと思います。
彼女の笑顔は本当に世界を救えるほどに美しく、周囲に明かりを照らし、その場に花が添えられたような不思議な力があると感じます。
だからこそ、周囲には愛され、それぞれの現場では楽しくお仕事が進み、良い作品が生まれるのだと確信しています。
幼少の頃より培った芯の強さが彼女をここまで引き上げ、国民に元気を与えられる存在にしてくれたのだとも思います。
これからも彼女の活躍にはまだまだ天井が見えませんね。
今後の作品も楽しみにしていましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。